斎藤幸平

(日本人の)マジョリティーは学ぶことをやめている。そして、そのことが声を上げることへの負荷を高め、「沈黙する社会」を作り出している。だから、声を上げる際にも、社会運動の訴えはできるだけ対立を避け、マジョリティーの気分を害さないものにあらかじめトーンダウンしてしまっている。 これは、既得権益を手放したくないマジョリティーには都合がいい。切り取られたダイバーシティーやSDGs、エシカルのような言葉が「アヘン」として蔓延しているのは偶然ではないのだ。マジョリティーが自らの地位に安住しながら、「弱者」に対する理解があるフリができる最善の手段なのである。 とはいえ、私たちだって、つねに踏みつける側に安住していられるわけではない。例えば、日本国内では外国人に差別的であっても傷つくことなく暮らしていけるが、諸外国で自分がアジア人差別にあうこともあるだろう。また、今は健康な青年・壮年でも年齢を重ねれば身体機能が弱るし、何等かのきっかけで財産を失い明日の生活に不安を抱えるかもしれない。そのときに、気がつくはずだ。弱い立場に転じれば、自分も声を上げることもできず、苦しむということに。 それに、ひどい現実から目をそらすツケはあまりにも大きい。気候危機対策は進まない。格差や低賃金労働は放置される。人権や差別問題は蔑ろにされる。そうやってごく一部の既得権益が温存されるだけなので、イノベーションは起きにくい。 世界では大きな転換が起き、その動きは今後Z世代が社会の担い手になるなかで加速していく。大変革の動きから取り残されれば、もはや日本は先進国とはいえなくなる。いま国内で多少マジョリティーとして安心した生活をしていたとしても、このままでは、その生活の維持すら危うい。 ここまでの話を、私というマジョリティーによる上から目線に感じたら申し訳ない。実際には、私だって想像力がまだまだ全然足りないのだ。